真・制作部日記

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zoom RSS 「ゴースト もういちど抱きしめたい」鑑賞記

<<   作成日時 : 2010/12/03 17:43   >>

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おののさん、コメントありがとうございます。
是非、劇場でご覧下さい。

SHOさん、コメントありがとうございます。
仰る通り、「命に代えても大切なものを守るという自己犠牲の美徳が表現されていたこと」は僕も共感します。
ただ、「戦争これ全て悪という発想もまた、平和ボケした現代日本特有の思考停止の産物ではないか」とはいささか嫌な思考ですね(汗)
でも、そう云う事をみんなが考えたり議論したりする題材になったりする事は良いと思いますので、是非、多くの方に映画を観て頂きたいと思います。


さて、やっとこさ「ゴースト」を観て参りました。
知り合いのスタッフが参加しているのですが、前評判はあまり芳しくありませんでした。

僕も1990年の公開当時にオリジナル版を観に行って、結構泣いた記憶があります。
レーザーディスクも買ったと思うのですが、それほど何回も見直した訳ではなく、かなり記憶が曖昧になっておりました。

「ヤマト」と同じく、オリジナル版と比較するといろいろ文句も言いたくなるのかもしれませんが、正直、観た印象はとても面白かったです。

出会いから丁寧に描かれて、希林さんの霊媒師には笑わされて、陰謀もホドホドで、ラブストーリーとして良く出来ていたと思います。

ただ、うちの親方のお仕事があまり上手くいってなかった様で、それだけはかなり気になりましたが、ぜひ、劇場でご覧頂きたいと思います。


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日本人がどこで希望的観測の罠に落ちるのか、現実と願望 (非現実) を取り違え精神主義に走るのか、きちんと振り返り反省することはほとんど不可能である。
それは、日本語に時制がないからである。
日本語脳においては、現実と非現実を異なる時制を使って表現することができない。
現実を現在時制の内容として表し、願望を未来時制の内容として表すことができれば、それぞれの内容は別世界の内容となり、混乱することはない。混乱しなけれぱ゛キリスト教のような宗教になり、混乱すれば原理主義となる。

だがしかし、我が国では、一つの事態の肯定と否定は、同じ世界のこととして言い表される。
人々は、無為無策でいながら現実が願望へと突然変化 (反転) することをひたすら願うものである。
言霊の効果の出現を望んでやまない。
必勝を心の底から祈願すれば、悲惨な玉砕もあっぱれな勝ち戦に見えてくる。
無理な欲望が強靭であるがために、現実直視は難しくなる。
これが、日本人の精神主義の本質である。
日本人は、祈願を他力本願・神頼みとしておおっぴらに認め合っている。
問題解決の能力もなく、事態を台無しにする危険をはらんでいる。
この閉塞状態が日本人の知的進歩の限界となっている。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

noga
2010/12/07 20:06

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